ピーター・ノーマンとオリンピック。アンビリーバボーで語られる真実とは

今から30年前ピーター・ノーマンというオリンピック選手がいました。

陸上のメダリストになればみんなのヒーローでもあるはずの彼が、オーストラリア国内でもほとんど知られてなかったらしい。

なぜそうなってしまったのか?

奇跡体験アンビリーバボーの放送直前ではあるが気になったので調べてみた。

 

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ピーター・ノーマン(Peter Norman)のプロフィール

 

・生年月日 1942年6月15日
・出身国 オーストラリア・ビクトリア州
・身長 178cm
・体重 73kg
・没年月日 2006年10月3日(満64歳没)
・死没場所 オーストラリア・メルボルン

 

現在のオーストラリア男性の平均身長約177cmだそうです。

今から30年くらい前にも関わらず身長が178cmということは選手としてもかなり体型に恵まれた選手だったようにも感じます。

そして、1968年に行われた夏季のメキシコオリンピックにおいて陸上男子200メートルで銀メダルに輝きました。

実は、彼は銀メダリストになったにも関わらずメキシコオリンピックの表彰台で取ったある行動によりこれから先の人生において批判され続ける事となるのです。。。

メキシコオリンピックの表彰式での出来事とは

 

ピーター・ノーマンと共に陸上男子200メートルでメダルに輝いたのが、金メダルにアメリカ出身のトミー・スミス、銅メダルに同じくアメリカ出身のジョン・カーロスが銅メダルに輝きました。

ですが、アフリカ系アメリカ人のトミー・スミスジョン・カールロスは人種差別に苦しみこのオリンピックの舞台でそれを主張したいと考えました。

そして実際に表彰台ではトミー・スミスジョン・カーロスは靴を履かずに黒人の貧困を表す黒い靴下姿となった。

そして、トミー・スミスプライドを意味する黒いスカーフを首に巻き、ジョン・カーロスは白人至上主義団体からリンチを受けた人々を祈念するための祈りに使われるロザリオを身に着けていた。

そして手にはトミー・スミスとジョン・カールロスがそれぞれ片方ずつ黒い手袋をしてブラックパワー・サリュートを行った。

ブラックパワー・サリュート

ブラックパワー・サリュートとは

アメリカの公民権運動でアフリカ系アメリカ人の人々が行った、こぶしを高く掲げて人種差別に抗議する意味を持つそうです。

ピーター・ノーマンはなぜ批判されたのか!?

表彰式の写真を見てもピーター・ノーマンは表彰台で黒い靴下姿だったわけでもないしスカーフもロザリオも身に着けていないしブラックパワー・サリュートのポーズも取っている様にも見えない。

でもよく胸元を見てみるとトミー・スミスジョン・カールロスらとともに3人で同じバッチをつけていた

このバッチはOPHRと呼ばれるもので”人権を求めるオリンピック・プロジェクトのバッチ”だったのです。

どうしてピーター・ノーマはOPHRのバッチをつけたかというと表彰式の前にトミー・スミスジョン・カールロスから黒人の人権を主張するための行動をしたいと聞いていたそうです。

その話を聞いたピーター・ノーマンは二人に賛同して一緒にバッチをつけることにを決めたそうです。

しかもブラックパワー・サリュートに使われた黒い手袋は本当はトミー・スミスジョン・カールロスのそれぞれが両手につける予定だった。

しかし、ジョン・カーロスが手袋を忘れてきてしまったため急遽ピーター・ノーマンの提案によりトミー・スミスの手袋を、二人で片手ずつはめてみては?という事になりトミー・スミスが右の手袋をはめ、ジョン・カーロスが左の手袋をつけることになったそうだ。

ピーター・ノーマンは二人のただならぬ思いに感動し自分にも協力できることがあれば何かしようという思いが芽生えのだ。

そして、これをきっかけに世界が何か少しでも変わりトミー・スミスジョン・カールロスの為になればいいと思っていた心やさしい方だったのではないでしょうか?

 

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アンビリーバボーで語られる真実とは

 

ピーター・ノーマンについて調べてみると簡単なプロフィールしかのっておらず歴史的に見ても銀メダリストであればもう少し情報があるのでは?と思っていたが実際あまり触れて欲しくないかのように感じた。

結局ピーター・ノーマンはこのメキシコオリンピック表彰式でのことが批判の対象となり銀メダル以降も1972年のミュンヘンオリンピックの予選で大会で3位になるなどよい成績をおさめているにもかかわらず再度オリンピック選手に選ばれることもなく同僚やメディアからも厄介者扱いされる事態となってしまった。

彼はのちにアキレス腱を痛めそれが足の致命的な損傷となり競技人生には幕を閉じその後も鬱やアルコール障害などに苦しみ64歳に亡くなった。

ピーター・ノーマンには家族がいて妻も子供もいる様だったのでアンビリーバボーでは家族の知られざる思いやピーター・ノーマンがどのような思いを抱え人生の幕を閉じたのかが詳しく描かれるのではないでしょうか?

トミースミスとジョン・カールロス

まとめ

今回はメキシコオリンピックで銀メダルをとったピーター・ノーマンの人生につい調べてみました。

人権問題というワード事体は社会の授業で聞いたことはあるけれども詳しく調べていくとかなり根深い問題で一言で解決できるようなことではないということが改めてわかりました。

でも,ピーター・ノーマンのように勇気をもって最初に行動や声を上げることは本当に大変なことであると同時にどんなに正しい事であってもその時は批判などとも戦っていかなければならないという大変さがそこにはあると思いました。

ピーター・ノーマンの人生は結局救われたようには見えませんでしたが彼の葬儀の際にはあのメキシコオリンピックでともに人権を訴えたトミー・スミスジョン・カールロスが彼の棺を担いでいる写真がありました。

これを見るとなんだかピーター・ノーマンがやっぱり俺はあの時一緒に訴えてよかった思う、
戦友よありがとうと聞こえてきそうな気がしました。

 

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