三宅純の経歴とプロフィール!家族や性格は?情熱大陸と君が代も調査!

2017年1月29日(日)23:00~23:30 放送の情熱大陸に三宅純さんが出演します。

 

三宅純さんと言えばリオオリンピック閉会式での”君が代”の編曲でかなり話題になったので知っている人も多いかもしれません。

 

そこで今回は三宅純さんの経歴とプロフィールを調べていきたいと思います。
また家族や性格、今回出演する情熱大陸と君が代についても気になったのでそちらも調査していきます!

 

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三宅純のプロフィールと経歴

・名前 三宅純(みやけじゅん)

・生年月日 1958年1月7日 (59歳)

・出身地 京都府

・職業 作曲家、編曲家、音楽プロデューサー、トランペット奏者

・学歴 バークリー音楽大学

 

三宅純

 

出身地は京都府ですが育ちは神奈川県鎌倉市なんだそうです。

 

最初の音楽との出会いは、小学校6年生の時に友人宅に行った際に友人の母親が聞いていたジャスに衝撃を受けたのが出会いだと言います。

 

もともと幼少期からピアノは習っていたそうですがいわゆる習い事でしかなかったようです。

でも、小さな頃からピアノを習うってエリートになる人の定番って感じですよねー。

幼少期のピアノは脳の発達にいい影響を与え、他の楽器を始めようとする時にもすんなりと覚えることが出来るなんて聞いたこともあるので、知らないうちに自然と感性が磨かれていったのではないでしょうか?

 

そしてジャズの魅力にどんどんのめりこんでいき学生時代には学校の音楽室の空きを見つけては見よう見まねでトランペットの練習に励んでいたそうです。

 

そしてプロとセッションできる機会を見つけてはそれに参加して腕を上げていったみたいです。

独学から始めていってプロとのセッションするなんてほんとにかなりの努力家ですよね!

好きだからこそここまで練習出来たのかもしれませんね。

まるで”坂道のアポロン”のような学生時代ですねー。素敵すぎます!

そして高校2年生の時に三宅純さんの音楽人生を左右するような出来事が訪れました。

 

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日本で一番尊敬出来るトランぺッター日野皓正(ひのてるまさ)さん

 

三宅純さんは高校2年生ということもあって将来の進路について大学受験か音楽の道なのか決めかねていたそうです。

 

特に音楽の道へは両親からの反対もあったので三宅純さんは考え、出した結論が自分が日本で一番尊敬出来るトランぺッターに見てもらい”素直に才能があるのかないのか決めてもらう事”でした。

 

ここでプロから見た自分のトランペットの演奏がダメだったら音楽の道はやめて受験に専念しようと心に決めていたそうです。

 

そして三宅純さんは実際に日野皓正さんがいる新宿のジャズバーに足を運びトランペットの演奏を見てもらったそうです。

 

それを見た日野皓正さんは、三宅純さんをなんと沼津にある自宅に招いてくれて聴音のテストを行い、演奏の問題を指導してくれて音楽家人生の厳しさについても語ってくれたらしいです。

 

三宅純さんは今までのことを考えこれは音楽家としては厳しいから日野皓正さんが音楽は諦めろという意味でこういった事を教えてくれたのだと思ったそうです。

 

ですが息子の帰りを心配した三宅純さんの母親から電話があったときに日野皓正さんは電話で突然息子さんはニューヨークに行くことが決まりましたので」と言ったみたいです。

 

その後かなりの大騒ぎになったとの事。

 

自分のかわいい息子が音楽家になるなんて食べていけるのか?本当に大丈夫なのか?とかいろいろな事が頭をよぎったに違いないです。

 

それから三宅純さんは日野皓正さんの助言通りニューヨークに行くのか大学受験にするのか決断をするまでかなり迷いがあった。

 

しかし、1976年卒業と同時にニューヨークに渡り、日野皓正さんの推薦もあってバークリー音楽大学へ入学が決まった。

 

ここから三宅純さんの音楽家としての人生が始まったんですね。

なんか素敵すぎてドラマのですね。

 

きっとトランぺッターの日野皓正さんも三宅純さんがどれほど音楽が好きでたくさんの練習をしてきたことが伝わったからこそ自分に出来ることがあれば三宅純さんのためにしてあげたいと思ったんじゃないでしょうか?

 

日野皓正

バークリー音楽大学とその後の活動

そしてバークリー音楽大学では譜面を読む力の大切さを学んだそうです。

 

その当時は”譜面を真っ向から否定していた”という三宅純さん、そんな感じだから入学から数年は譜面の授業はボイコットしていたらしい。

 

でも、最終的に譜面は”記号だけで音楽を伝える事の出来るすごいもの”ということに気が付いてからはちゃんと授業にも参加するようになったそうです。

 

ボイコットするなんて海外の大学だから許されたことでしょう。(笑)

すでに三宅純さんの中には音楽というものは”こういうものだ”みたいなものが出来上がっていたのかもしれませんね!それにしてもこういうエピソードを聞くともうすでに大物感が漂っていますよねー。

 

そしてニューヨークでも授業の合間をみてはプロの方たちと一緒に演奏できるチャンスを探しては参加してどんどん上達していった。

 

三宅純さん自身もバークリー音楽大学で学んだことよりもむしろこうした学校外でのほうが学んだことはかなり多かったといいます。

 

ニューヨークって世界中から音楽に限らず学びたいって人が集まる街だなんて聞いたことがるし、評価もかなりハッキリとしているなんていわれますからそんな環境でもめげずに自分をアピールすることが出来るって本当にすごいなーと思ってしまいますね。

 

その後バークリー音楽大学を卒業後は努力のかいがあってマサチューセッツ州のアーティスト・ファウンデーション主催の作曲コンクールジャズ部門の優勝を果たしたそうです。

 

帰国後はバークリー音楽大学への入学をすすめてくれた日野皓正さんの弟さんの日野元彦さんがいるジャズバンドなどで活動していたそうですが三宅純さんは自分がやりたいのはこれではないような気がすると少しずつ気持ちの変化があったみたいです。

 

そんな時に出会ったのがCMの仕事だった。

 

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CM王、三宅純の性格と家族

その当時はバブル全盛で、CMを作って欲しい企業はどの企業もたくさんの資金を投入しいいCMを作ってくればそれでよしいった感じのところがほとんどだったようです。

 

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