フロイドシュモーの経歴や平和運動とは?【奇跡体験!アンビリバボー】

フロイドシュモーさんが行った平和運動の歩みが「奇跡体験!アンビリバボー」で放送されるそうです。

フロイドシュモーさんは第二次世界大戦や広島の原爆と深い繋がりがあるようですよ。

またフロイドシュモーさんの平和運動は日本のみならず世界でご活躍されてえいるようでその功績も気になりますね!

今回はフロイドシュモーさんについいて詳しく調べてみました。

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 フロイドシュモーさんのプロフィール

 

引用:http://www.historylink.org/

 

  • 名前 フロイド・シュモー(Floyd Wilfred Schmoe)
  • 生年月日 1895年9月21日
  • 出身国 アメリカ・カンザス州

 

フロイドシュモーさんはアメリカ・カンザス州で父親のアーネスト・シュモーさんと母親のミンタ・シュモーさんの5人兄弟の2番目として誕生しました。

アメリカ・カンザス州は土地が平坦で大規模農業の向いていることからフロイドシュモーさんのご実家も小さな農場を営んでいたそうです。

農場ということは家畜を育てて生計を立てていますので育てた家畜の命を頂くわけですがフロイドシュモーさんにとってはそれが嫌だったといわれているようそうです。

フロイドシュモーさんはどちらかといえば開拓者の祖父が植えた大きな木に愛着を持っていたそうで自然が大好きだったそうですよ。

そのせいもあってかフロイドシュモーさんは森林学者や自然学者になられたそうです。

では実際にどのような経歴で平和運動へと繋がっていったのでしょうか?

フロイドシュモーさんの経歴を詳しく調べてみました。

 フロイドシュモーの経歴を調べてみた!

フロイドシュモーさんの家は代々クエーカー教徒のようでフロイドシュモーさんはその6代目だったそうです。

第一次世界大戦の時には兵士になることを拒否されたそうですね。

フロイドシュモーさんは兵士にはならず赤十字にボランティアとして参加したそうでフランスでは救急車の運転手や担架担ぎとして活動したとされています。

戦争の最中にはポーランド救済委員会の指示によりポーランドの難民へ食料や衣料の配送も行ったそうです。

またこの時フランスで戦争難民の方の為にプレハブ住宅を建てていたそうです。

やはり小さい頃からフロイドシュモーさんは平和を貫いたいと考えていたようですし、戦争はもちろんのこと争いに自分が参加するなんて考えられなかったのかもしれませんね。

なのでボランティアとして赤十字で活躍しようと決められたのかもしれません。

戦後は帰還船がいっぱいでなかなか帰ることが出来ずにいたそうです。

やっとの思いでアメリカ・カンザス州に戻ると同級生のピアニスト、ルスさんと結婚されました。

その後、二人はシアトルに移ったそうでフロイドシュモーさんはワシントン大学で森林学と海洋学を学び、ルスさんは音楽を継続されたそうです。

この時二人はお金が足りなくなったことからフロイドシュモーさんは何か山の自然に関する仕事は出来ないかと考えたそうです。

すると、マウントレーニア国立公園のパラダイスの10メートル以上の雪に埋もれた建物の冬季管理者としての仕事が見つかったそうですね。

二人は雪で孤立状態となりながらもそこでの生活に慣れていったそうです。

翌年の夏には山岳ガイドとしても働いたとされています。

フロイドシュモーさんはワシントン大学の森林学が木材資源としていたことに不満を感じていたそうでより環境保全の勉強がしたいとイギリスの大学に転籍されたそうです。

大学では学位も取得されて卒業しマウントレーニア国立公園に戻りパークレンジャーとなりました。1924年には公園の最初のフルタイム自然学者となったそうですよ。

 

引用:http://www.historylink.org/

 

1925年に執筆した『Our Greatest Mountain』は公園の非公式のハンドブックにもなりました。

そして1928年には公園での仕事を辞めてワシントン大学での森林学の講師となったそうです。

きっと森林学における功績もかなり大きかったに違いありませんね。

では平和運動には具体的にどのようなことをされていたのでしょうか?

詳しく調べてみました。

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 平和運動について調査!

フロイドシュモーさんはヨーロッパで第二次世界大戦が始まるとユダヤ人の避難の支援や食料・衣類の支援を行ったそうです。

日系人の強制収容が始まるとなんと教職を辞めて支援を始められたそうですね。

そしてFBIにもマークされるようになりFBIのファイルには「狂犬的平和主義者」と書かれていたそうです。

ここまで危険を顧みず人の為になれるなんて本当にすごい方だと思いました。

やがでフロイドシュモーさんは原爆投下のニュースを聴きユダヤ人の差別などの悲惨さと同じくらい憤りや悲しさを感じ、なんと大統領に抗議の電報を打ったそうです。

それからというもの被災者の為の家を建設するべく1口1ドルの寄付を募る為にアメリカ各地を回ったそうです。

そして1948年の夏に日本を訪れてその惨状を目の当たりにしたと言います。

翌年8月4日にはエメリー・アンドリウス牧師と大学講師デイジー・デイブス、小学校教諭ルース・ジェンキンズが広島へやってきて日本人ボランティアと共に家造りを始めました。

 

引用:http://www.historylink.org/

 

2ヶ月後には4戸が完成し、「皆実町平和住宅」と命名されたそうです。

フロイドはその後2回、アメリカ人ボランティアたちと来日しては自ら建築に携わり1952年には合計20戸を完成せました。

 

引用:http://www.historylink.org/

 

また、原爆により被爆し若くして亡くなられ折り鶴で有名な佐々木禎子さんの像である「サダコ像」のシアトルへの建設もフロイドシュモーさんの働きかけで行われたとされています。

これだけの功績があったにも関わらず知らなかったという方も多いのではないでしょうか?

そしてフロイドシュモーさんはノーベル平和賞へ3度ノミネートされており、美智子妃殿下からお茶を頂いたり、1982年春の叙勲受賞者(勲四等瑞宝章)に選ばれたそうです。

そして1983年には広島市から特別名誉市民の称号を贈られたそうですよ。

まとめ

今回はフロイドシュモーさんについて調べてみました。

こんなにも行動力があり人の為になれる方なんていらっしゃらないのでは?!と思うくらいでした。

きっと自分で決めたことは最後まで曲げず責任感の強い方なのかもしれませんね。

今ある平和な暮らしはこういった方の努力があってこそなんだと強く感じました。

奇跡体験!アンビリバボーでは詳しい経歴や功績、これまで語られなかった事実などもわかりそうです。

ぜひ放送に期待したいと思います!

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